マナスル 8163m 2011年

9月6日 羽田発 00:20(タイ航空)

7日 カトマンズ 12:25着

9日(カトマンズ発 ヘリコプターで)サマ村

12日 ベースキャンプ着

16日 サマ村に下るサマ泊

19日 ベースキャンプに戻る

20日 ベースからC1へ

21日 C1からベースへ(停滞) 天候不良

10月2日 ベースからC1

3日 C1からC2へ

4日 C2からC3へ

5日 C3からC4へ

6日 C4から山頂、C2へ

7日 C2からベースへ

8日 ベースからサマ村へ

9日  サマ村からヘリでカトマンズへ

12日 カトマンズからバンコクへ

13日 バンコクから成田へ  


【10月2日】ベース(4700m)→キャンプ1(5300m)

ベースキャンプを出発。最初のフィクスロープのある岩場まで自由に歩き進む。フィックスにそってその岩場を登る。岩場の上は、平坦な岩に積もった雪面にあるトレースを進み、プラスチックの樽にデポしたアイゼンとピッケルをデポした地点に着く。ここからアイゼンを付け氷雪の上を歩き、C1に着く。

【3日】 →キャンプ2(6300m)

Ⅽ1を出発。標高差が一番ある区間の登山日だ。本峰側の岩壁を右から巻くように雪面を登る。そこから本格的セラック帯登りとなる。先の大雪で、荒々しい氷河帯の姿ではないが、新雪の表面の中にぱっくりと割れ目のクレパスがあり、垂直の氷壁があったりする。途中、広いクレパスには、アルミの梯子がかけられて、階段の段を一歩一歩、アイゼンを付けた登山靴を慎重に置く。垂直に思われる雪壁帯は弱点をうまく左右に巻きながら、高度を上げて行く。氷河の上部の先に、張り出した大きな雪稜の根元に黄色いテントの列が見える。この大きな雪稜を左から巻き、本峰と雪稜を張り出している支尾根のピークの間のコルがC2であった。

【4日】 →キャンプ3(6800m)

明るくなってから出発。本峰の上部に向け、フィックスロープにアッセンダーを掛けて登って行く。本格的、セラック帯登り。体調は良く、順調に登って行く。傾斜は増して、崩壊した大きな氷の塊が累々と積み重なったところを通過。所によっては、巨大な氷の塊の中を進み、氷の谷間に入り込んだ感じ。セラック帯を左から大きく巻いて右手の稜線の肩のような部分へと進み、キャンプ3に1時44分に到着できた。

キャンプ3では、夜寝るときから酸素を使う。

【5日】 →キャンプ4(7450m)

酸素マスクしてキャンプ4に向かう。昨日上部に点々と登山者の列が出来る広い雪面を登り続ける。時々、登頂に成功して下山してくる欧米人とすれ違う。広がっていた急なセラック帯を右上に巻くように登り続け、安定した雪面にテントが連なっているⅭ4に1時54分に着いた。見上げるとピナクルの右に、マナスル山頂が見える。1日先行し山頂を目指した女性隊員が下山して来た。4名中3名登頂。「コングラチュレイション」。

【6日】 →山頂(8163m)→C2

3時発だが、私は用足しで出遅れる。そのため、ネパールスタッフが私のサポート員となり二人で暗い中歩き出す。先行する他の隊員のヘッドランプを頼り、平坦な地形を進む。次の稜線が見えてくる。気が付くと、山並みの夜空に暁色が出現しだす。影マナスル、日の出、大地に太陽が輝き出していた。太陽光線の温もりで、酸素マスク付けても呼吸で苦しみから少し解放される。無風快晴なので、写真をぱちぱち!マナスルを象徴していたピナクルと同じ高さ。そこから右手に長い雪面が山頂部へと続いている。呼吸がくるしくなり深呼吸をすると、肺が痛くなる。それでも、一歩一歩足を動かす。あと200mぐらい残すだけに。20歩以上は足は動かない。それでも、立ち止まりながら登って行くと、左への水平の踏み跡になる。そこの雪稜地形をトラバースして、山頂に奉納された経文が書かれた布やタルチョが巻かれたところに着いた。10時15分である。まず、ガイドと握手。記念写真を撮り、そこそこに下山を開始した。